3つの定義~健康・治療・治る~

 森田敦史です。

 定義付け作業は非常に重要です。なぜならば、これだけ多種多様の治療法や健康法が乱立している状況下では、受ける側・参加する側からみると何が何だかわからないという現実があります。健康という定義を一つとっても、美容エステにおける健康、エクササイズにおける健康、治療における健康、詰まるところはそういったものを提供する人が考える健康の定義など、ほとんどが微妙に異なります。この微妙に異なる健康という定義が、それを利用する立場に立ってみると混乱を招く大きな要因となります。

 健康という定義だけではありません。治療・治るといった定義付けも、それを施す側の人間によって微妙に異なります。治療法や健康法を見るときに判断する材料の一つに、この定義付けがしっかりとなされているかどうか、説明されているかどうか?というところをよく見た方が良いと思います。

 ひょっとして、受ける側が思う健康・治療・治るの定義と提供する側の定義にギャップがあるかもしれません。それぞれの定義付けには正解はないと思いますが、何を求め、何を提供するのか?そして、その定義は目指すべきところとなり、共通の目標となります。また、治療や身体つくりを進めるうえで核となってくるところでもあります。
 
 体軸法における3つの定義

 健康:痛みや不調がなく、軽く楽に動けて当たり前の心と身体。

 治療:感覚・感性の強化訓練。

 治る:感覚・感性を強化し、自分自身で心身をコントロールできるようになり、身体の不都合を生み出さずに生活する。

 簡潔に書きましたが、これだけでも十分にイメージングは可能です。

 つまり、ここからイメージされるのは少なくとも受けるだけの治療とは違う、自分自身が大切、形をそれほど重要視していない、心身両面を一つとして観ているんだな、ということはわかると思います。もちろんこれが唯一の正解だとは思っていません。少なくとも体軸法の世界で正解というだけの話です。こういった定義をある程度、明確にすることによって、利用する側が判断できる材料を明示することが重要です。

 ちなみになぜ体軸法では、このような定義付けをしたのかというと、理由は以下です。

 健康:人はなぜ運動したり、体操したりするのか?健康のため?しかしいざ健康のためと言っても、その健康って何?と問われると答えられる人は多くありません。それに、筋肉や関節・姿勢などはあくまでやり方であっても目標ではないはずです。その先にあるのは、痛みや不調がなく、軽く楽に動けることが当たり前の心と身体ではないでしょうか?

 治療:歪みやコリを治療し、症状を改善しても長い目でみれば問題を先送りしているだけのような感じがしますし、これは重度障碍者治療や難病治療をして確信に至ったことです。大切なのは日々の在り方とその積み重ね、そして進化すること。ちょっと大げさな言い方をすれば未来に責任が持てる治療をしたいという想いもあります。そして治療とは最終的には本人が創る幸せに向かっていくべきだと思っています。

 治る:身体は変化します、変化のプロセスにおいて反応があるだけであってそれが時として人間にとって不都合に感じるものとなります。変化に適応し、不都合となる反応を極力少なくできるよう環境設定(セルフコントロール)するという発想の方がはるかに大切です。治るというのは固定化されたモノではなく、また人間は生ものであるがゆえに永遠に適応し続けなければなりません。そのため、体軸法においては治る・治らないという事はあまり重視しません、あえていうならば心身に不都合がなく、またコントロールできうる力を身につけたときが治ったという事なのかもしれません。

 次回は“体験”という言葉の意味するところを考察していきたいと思います。体験の質と、その積み重ねによって未来が決まってきます。となると自分が望む未来があるのであれば、そうなるような体験を積み重ねないといけません。そしてその体験の積み重ねによっていったい何が変わるのか?

 そんなところを考えてみたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。