体験ということ

 森田敦史です。

 突然ですが、あなたは自転車に乗るとき、以下のように強く意識しますか?

「さあ、左足に体重を乗せて、右足を斜め後ろから挙げてまたぐように乗り、手はしっかりとグリップを握って・・・」

 おそらく誰もいないかと思います(苦笑)

 そう、当たり前のように何も考えずに乗っているはずです。当たり前のように・・・

 それでは当たり前にするためには何が必要ですか?自転車の乗り方DVDを観ることでも、考えることでも、筋トレ・ストレッチで足腰を強くするでもなく、乗るという体験を繰り返すことではないでしょうか?

 何かを当たり前にすることは、それを日常に入れる必要があります。当たり前にしたい事を日常的に“体験”という形でインプットしていく作業です。

 身体が軽く、楽に動けるようになりたいのであれば、日常から軽く・楽に動けるという体験を入れていくということが大切です。立ち方・座り方・歩き方・所作、様々な体験方法あります。こういった体験という刺激を当たり前になるまでにすり込んでいけばいいということです。ある程度、すり込まれるとその感覚は常在感覚化されてきますので、意識しなくてもそれが出来るようになります。意識から無意識になり、当たり前になり始めたということです。

 体軸法のレッスンに参加されている方の多くは、参加し始めて2~3カ月すると「何だかよくわからないけれど、不調が起きにくくなっている、身体が軽い」と話します。それは正にレッスンという体験の積み重ねによって、軽く動く、自然に動くということが常在感覚化し始めていることなのでしょう。

 健康にとって、逆に制限をかけてしまう体験もあります。代表的なものに言葉があります。

 まずは「つらい」「重い」「動けない」「できない」といった類の言葉。

 そんな言葉を口にすればするほどに、それが体験の積み重ねとなって常在感覚化してくるということです。しかし、事実としてそうなのであれば無理に隠すことはありませんがそれを言うのは治療に来るときだけ、というような限定をつけることがいいと思います、加えて事実をしっかりと捉えるということが重要です。

 一つの例をあげると、

 電車で渋谷に通院してきました。

「歩けないんです、先生」

 そもそもがおかしな話です。電車に乗って通院してきたはずなのに「歩けない」ということです。では自宅から駅まで、駅から治療院までどうしたのでしょうか?よく聴くと歩いているのですが、そういったときに必ず注意するのが、「歩けないのではなく、歩きにくいのでしょう?言葉は正確に表現するようにしましょう。」

 誇張表現を繰り返すことによって、それ自体も体験として常在感覚化してくれば、それは動きに反映されますから実態(身)も遠からずそうなっていきます。言葉は感情を伴い、その感情は動きに反映されやすい、だから出す言葉は十分に気をつけなければなりません。私自身の体験では、「つらい」「重い」「動けない」「できない」というような言葉や、それをイメージさせる言葉を徹底的に使わないという作業をした時期があります、あえて軽い・できるという言葉を使ったということもしませんでしたが・・・。つまりは軽い・重いという発想ではなく“ただ在る”という認識というか観察というか、そんなところです。余談ですが、この“ただ在る”というポジショニングが治る・治らない、痛い・痛くないという発想を超えるヒントになるのかもしれません。

 大切なポイントを復唱すると、言葉も感覚・イメージを含有しており、それは動きに反映される、このことをよく考える必要があります。

ー動作についてー

 重い動きをするから重く感じ、身体が重くなるのです。

 軽い動作、楽な動作とは何を指すのでしょうか?

 筋力をつけて、重いものを持ち上げるのとは違います。人間の意識や身体のシステムを使った動作を指します。例えば、腕を上に挙げるという動作で考えると、手の甲の位置や目線、どのようにあげるのか?という事を考えると結果的に挙げる位置は同じでも、そこまでに至るプロセスにおいての軽さが劇的に変わります。軽い・楽といった視点で動作を考えると、その完成形よりもプロセスにこそ重要な要素が隠れています。

 往々にして重い世界は、その質量に抗する形で力を使って重さを制しようという抵抗するという発想からくることが多く、自然動作とは身体の様々なシステムをうまく利用するという発想からくるものです。体軸法において動作をする意味は、軽く・楽に動くという体験を自然動作を通して体験し、積み重ね、常在感覚化していくということです。その自然動作の中に整体理論を組み込んでいるというものです。つまり、軽く・楽に動いているうちに過剰な筋肉の緊張や骨格のゆがみ等も改善されていきます。

 いずれにしても、何をするにも、それは体験になります。

 その体験を積み重ねることによって、その体験の中にある感覚が常在化してきます。

 言葉ですべての説明するのは、なかなか難しいのですが、体軸法の治療やレッスンで何をしているのか?という事が少しでも、それこそ感覚的でも理解したいただければ幸いです。小難しいかもしれませんが至ってシンプルな理屈であり、それこそ当たり前な、普遍の法則のようなものです。

 核心(心ー動ー身)から2つの資質(感覚・感性)、3つの定義(健康・治療・治る)、体験の積み重ね、これが体軸法の考える基本理念です。

 これが動く事を通して、心と身体を変えていく。という作業が身体を育てなおすということ。

 次回は、動くということの意味を考察しようかと考えています、しないかもしれませんが・・・。体軸法では動作には、大納・中納・小納という考え方があります。これは心身を変革していくときに生命線となる考え方です。これはそのまま動きを観て人間を読むという人間観察にも使います。その人の人となりや課題などが顕わになってきます。

 今回も長々とお読みになっていただき、ありがとうございました。