動くことによる変革

 森田敦史です。

 動くということの意味。体軸法では動作には、大納・中納・小納という考え方があります。これは心身を変革していくときに生命線となる考え方です。これはそのまま動きを観て人間を読むという人間観察にも使います。その人の人となりや課題などが顕わになってきます。

 現在、様々なところで当たり前のように日常生活の在り様が大切であると聴きますし私もそう思います、ではいったい何をすればいいのか?という問いに対しての一つの答えです。所作という事を通して健康を考察してみようと思います。

 日々、様々な人間を観察していると一つの事実に気づきます。それは、不調体質の人間にみられる動き方の特徴になります。不調体質の方の多くは“動きが流れている”のです。動きにメリハリがなく、始まりと終わりが動きの中になく、何となく動いているように感じられます。動きが流れると一つの動きと一つの動きの間が不安定になります、一つの動きの中でもメリハリがありません。そうなってしまうと感性(事実認識力)が低下しやすくなります。感性が低下すれば当然、感覚も希薄になってきます。

 動きが流れるというのは、文字通りの意味と、始まりと終わりというメリハリがないということになります。これは身体的だけではなく、心的な影響も大きく与えます。だるいと動きはどうなるでしょうか?動きは流れ、終始もなくなりやすくなります。逆に言えば、動きが流れ、終始がなくなるような動きをすると、だるくなります。だるいから動きが流れる、動きが流れるからだるくなる、という悪循環です。特に夏場に多くみられます。うだるような暑さで、本当にうだっている人。

 どんな時でも、動きを流さない、終始のけじめをつけるというのは健康という視点でみると必要なことです。いっけんすると古い根性論のように聞こえますが、そんなに難しいことではなく、夏でも動きを流さず、終始のけじめをつければよいというだけの話です。これを言葉にすると「暑いですか?だから何?」という世界です。根性論はその暑さすら否定し、我慢してしまいがちですが、暑いものは暑いという事実はありますので、暑さを否定する必要も我慢する必要もありません。しかし暑いということが、流れる動き、動きに終始がなくなる、というところに繋がるという話にはなりません。

 暑さ寒さなどの刺激に過剰に反応すればするほどに身体に反映されます。暑いという刺激が感情を生み、その感情が動きに反映され、その動きが身をつくる。という説明もできます。感じても動きに反映させないことが大切です。このように何らかの刺激で、それを動きに反映すると、その体験を積み重ねるとそれが常在感覚化しますので、当たり前ですが動きが流れる、終始がなくなるといった事が起きてくるという考え方です。

 それを解決するために必要なのは、日常生活の中で動きを流さない、そして動きの終始にメリハリをつけるという体験を積み重ねることにあります。これは刺激に対しての耐性構築にも役立ちますし、1日を充実させるためにも重要なことです。人間が何かの刺激に対してどういう感情が発生しても、それを極力動きに反映させない習慣をつけるという言い方も可能です。

 それではどういった枠組みで取り組めばいいのか?というところに入ります。ここで3つのシーンを仮定しており、それぞれ大納・中納・小納という言い方をします。

◆大納:1日というスケールでみる終始のけじめ。1日の始まりと終わりを明確化すること。

◆中納:1日の中での動きの終始のけじめと動きを流さない。

◆小納:1日の中での物の扱い方。

 という枠組みで考えると現実的に作用すると考えます。体軸法のレッスンや治療から、こういった日常生活まで動きが変革されるということは一つの理想的な形です。ちなみにこの考え方は何も1日だけに当てはまるとは限りません、体軸法のレッスンでは大納~小納までのすべての要素が散りばめられています。どこにどういった要素を入れていくかは、愛子先生とトライ&エラーを繰り返して一つの形にしています。一つのレッスンを通して、こういった事を学んでいるというわけです。

 ちなみにこの大納・中納・小納から、その人の性質を知ることができます。私達が人間を観るときの視点の一つである動きの終始・流れているかどうか?・物の扱い方など、こればかりはどんなに隠そうと思っても、ほとんどの場合は些細なところから顕わになります。筋肉の緊張や姿勢・歪みなどももちろん観ますが動きを観ることによって、もっと深い情報を得ることが可能になります。

 物事には始まりがあれば終わりもある、体軸法では一つの終わりを“納める”という表現方法を使っています。また、動きを流さないということ。こういった古くから当たり前のように伝わってきている法則を現代版にしているということです。これが温故知新ではないかと愚考しています。

 この“納める”という考え方を使って、具体的に日常生活を変革していくということ。その具体的な方法を9月か10月に何等かの形で伝え始めることを決めております。治療やレッスンでは、既に伝えている人もおりますが、もっと多くの方に知っていただき、活かしてほしいと思っています。今後も本格的な身体の塾という立場で色々と発信していこうかと思いを新たにしております。

 今回も長々と読んでいただき、ありがとうございました。次回は・・・。