マジしかない!?机上の空論から現実上の実践論

 自然な動きを体得するためには何が必要なのでしょうか?

 言葉や文字というのは、その解釈の尺度は、人ぞれぞれの過去の体験によって異なります。である以上、言葉や文字から受け取るものには限度があります。

 偉大な先達は何を伝えたかったのか?

 先達の解釈の尺度を理解しない限り、その言葉や文字を私達が理解できることはありません。

 言葉や文字上に解釈し、何となくその通りに出来たような気になること。これは机上の空論です。

 では、どうすれば机上の空論ではなくなるのか?現実上の実践論と成りえるのか?ということがポイントです。

 答えは、一つしかないように思います。

“とことん現実と向き合うこと”

 武術が、迫りくる死という究極の現実から生まれたように、いわば、そうしなければならない状況を自分自身に作れるかどうかということではないでしょうか?

 私事で恐縮ですが、難病だった頃、症状が究極まで悪化した時に、どうしたら楽に生きられるのか?という不可避の選択を迫られたように・・・

 そうしないと死んでしまう、正気ではなく発狂してしまう。そうしないためには、そうならないように絶対的に必要なことだからやるしかない。

 このような状況下におかれると頭脳がいかに頼りにならないか、知識が何の頼りにもならないか、がよくわかります。

 言葉や文字や頭脳などを超越した状況と向き合う、これが現実ととことん向き合うということだと私は考えています。

 私は武術の心得がありませんので何とも言えませんが、おそらくそういった究極の、不可避の選択から生まれたものであり、だから無駄がなく、飾りもない世界が出来たのだと思います。

 このような視点に立って物事を観察すると、常識と言われるものに疑問ばかり生じます。
 
 常識とは、その時代の、社会の大きな割合を占める考え方、とでも言うのでしょうか。つまり常識とは、普遍的で正しい事とは限らないということです。これは人間が過去に歩んできた道のりを少し勉強すればわかることです。

 言葉や文字も大切なものですが、それ以上に大切なのは現実。

 とことん現実と向き合うこと、マジになることが自然の動きを体得する絶対条件です。

 言葉・文字・頭脳などを外して、身体でわかってしまえば割と簡単な世界です。

 情報提供:体軸法 渋谷鍼灸理学治療室 森田敦史