連載(3)セルフイメージ

前回からの続編です。感覚保存と成熟した自己意識を持つためにセルフイメージが絶対条件であるとお話したと思います。

セルフイメージとは、簡単に言うと
「自分がどうなりたいのか?」
「どんな自分だったら好きになれるのか?」
という自分の理想の姿や振る舞い方、存在の仕方をリアルに描く事です。

そして超重要なのは、今すぐ、その場でそうなる!という事になります。
多くの方は自分の不十分な点をあげつらってそのならない理由、つまり言い訳を探します。

しかし、そのような考えでは永遠にそうなれるようにはなりません。

ちょっと話はそれますが、その理想でさえも通過点であり、それを達成したら、またもう一歩上のセルフイメージが必要になってきます。初歩でつまづいている場合ではありません。

痛くても何でも、今すぐなりたい自分になるという事です。

例えば、代表はセルフイメージの初歩として、伊達政宗になっていました。ある本に伊達政宗の生き方に感激したようで、次の日から自分なりにイメージした伊達政宗を要は演じたそうです。

へそ曲がり、常識を疑う、やるときは豪快に、などなど・・・

伊達政宗のように急にお殿様にはなれませんが、彼の仕草や声、話し方・立ち居振る舞いなど、できそうなところを想像して、現実に演じました。

最初は演じたのですが、そのうちそれを普通になったようです。その後はまた違うセルフイメージをもってそれを演じる、という作業をして、何回もセルフイメージを書き換えています。

そのうち、数種類のセルフイメージがうまく重なりあって「自分」というスタイルを作ったそうです。

しかし、今でもまだ新たなセルフイメージを作り、日々演じています。バカみたいですが、本人は真剣です(笑)。

だから代表は1年1年で本当に変わります。見ていて楽しいくらいに・・・

ちなみに代表の口グセで「イチローは絶対にこの作業をやっている」と言います。この理由は直接代表に聞いてくださいね。

大事な事は、自分の不十分なところがあってもやっていたという事です。

不十分なところがない人間などそもそもいるわけがなく、不十分なところを抱えながら人間は生きているのですから。

実は、このセルフイメージと感覚保存・成熟した自己意識は、比例関係にあります。

セルフイメージがないという事は目指す姿が存在しないと言い換えることも出来ます。

悪い事ばかり、不十分なところばかり目が行く方、その中に自分を置いてそこから脱しようとしない方、実はその方にとってはそれがセルフイメージになってしまいます。

そうなると例えば、首の解放プログラムをして首が変化しても、その感覚を掴む事ができません。目に見えて動ける範囲が広がっていても、それを認める事、認知することができません。

そして、半分痛みが取れたのに、「まだ半分痛い」というようにネガティブなセルフイメージからくる発想になってしまいます。

これではどんなに良いことをやっても何にもなりません。

感覚保存も、ネガティブな感覚しか保存できず、自己意識も不調ばかりに目がいく、というような悪循環になってしまいます。

これは負の悪循環と言って、そういったセルフイメージの方はいつも緊張状態にあり、自律神経で言うと交感神経優位になり、不調が起こりやすい体になります。

まず、何もするにもその前に、「決める」事が大切になります。単純な話です。
自分でどうなりたいかを決めればよいだけです。

そして、リアルなセルフイメージと、それに伴う行動を持てば、必ず体は好転することになります。

大切なのは、なりたい自分にまずなってみること。いきなり全てとは言いませんが少しでも1個でも、まずなりたい自分になることです。

その一環として、ヨガの生徒さんには、チェックシートにご記入いただいていますし、ヨガを始めるときに、今の感情や今日何のために来たのかをイメージさせるのです。

なりたいセルフイメージがないと、ただの物と変わりません。

全てがここに繋がっています。

情報提供:渋谷の小さなヨガ・整体サロン“Office K-Raku”