科学も主観になりえる~事実と科学~

 科学は、事実に遅れることがよくあります。

 ○●が良い、と言い伝えられてきたことが、科学で証明された、など。

 重要なポイントは、確固とした結果が出るまではお互いに批判してはいけないということです。お互いに役割があるのですから・・・

 インドで70年間、飲まず食わずの男性がいるというニュースは最近です。

 どうも、調査機関が実際に24時間監視体制で調査して、一定期間飲まず食わずということが判明したらしい。

 この調査機関に信憑性があるかないかは別ですが・・・

 この話に対して日本の医師の話に、絶対にあり得ない、という意見がありました。

 この“絶対にあり得ない”というところがミソです。人類の歴史など絶対あり得ないことがありえてきているのですから・・・

 科学の責任は、あり得るのであればその根拠を、あり得ないのであればありえない根拠を明確に示すことです。

 事実を、今の定説に基づいて判断するのは当たり前ですが、完全否定はよくありません。今の事実に対しての完全否定の理由を明確に述べないといけないということです。

 科学で証明する事と、科学で否定すること。否定するだけの根拠がない場合の否定は、単なる私見に過ぎません。

 世の中では、そういった私見、仮説が科学という名のもとにおいて信じられてしまっているという現状があります。これは妄信の世界です。

 私自身、絶対に治らないクローン病と診断されましたが、薬を服用しなくても、全く症状がありません。

 これをお医者さんい言うと怒られるのです。なぜならば治らないと決めている病気が治ったのはおかしい、つまり“あんたはおかしい”ということになるからです。

 “あんたはおかしい”と言われても困ります(苦笑)

 おかしいと言う前に、なぜこの人間は治ってしまったのか?これを真面目に研究するのも責任の一つで、治っていないのであれば、その根拠を科学的に説明する責任があるということです。

 科学は、それを扱う人間次第で暴走します。

 私達はそれらを見抜く目を持っていないと、科学に振り回されることになります。

 情報提供:体軸法 渋谷鍼灸理学治療室 森田敦史