病気と死生観

 病気と相対するとき、人間は不安と恐怖を常に抱えることになります。

 ご存知のように、不安・恐怖という感情は、人間の体のシステムをストップさせ、そこから生まれる発想も非常にネガティブなものになります。

 特に難病であると診断された方にとっては、進行や死に対する不安・恐怖はやはり大変なものであると推測されます。

 しかしながら、自然法則下において、不安・恐怖という感情をいかに処理できるかが回復・克服への大きな鍵となってきます。

 病気という存在の最悪の結末を想定すると、それは死であると思われます。

 病気、特に難病と向き合うには、自分自身の死生観というものが非常に大きな存在となってきます。

 人間の生き死にというものにどういった価値観を持っているのか?ということです。

 死=怖い・不安、嫌だ、というような死生観。

 これは本当にあなたの死生観なのでしょうか?社会通念上の死生観をそのまま鵜呑みにしているだけではないのでしょうか?

 なぜ死ぬのが怖いのか?
 なぜ死ぬのが不安なのか?
 なぜ死ぬのが嫌なのか?
 なぜ死ぬのか不幸なのか?

 そんなの、当たり前だと言う方もおられます・・・何がどのようにして当たり前なのでしょうか?

 死生観は自分自身で作るもの、他人にも社会にも、あなたの死生観を決めることはできません。

 人の死生観にツベコベ言うつもりはありませんが、この死生観が難病を含めた病気と深い関係があることだけは、はっきりと断言できます。

 人間生きている以上は、死に対して本気で考える方はなかなかいませんが、一度真剣に考えられてはいかがでしょうか?

 死というものを体験して、今を生きている人は原則おりません。

 そうであれば死に対する捉え方は、科学的にどうこう言えるものではありません。

 本当に死は悲しいことなのか?不幸なことなのか?

 他人や社会から言われるのではなく、一度ご自分で考えてみられてはどうでしょうか?

 自分なりに本気で考えられた死生観、結論は出なくてもその事はまず間違いなく、人間を大きく成長させるものだと確信しております。

 情報提供:渋谷鍼灸理学治療室 体軸法 渋谷