志と情熱

 ガラにもない暑苦しいタイトル(苦笑)。

 私は人が恐かった、正直なところ対人恐怖症だった。

 人前に出ることを避けたいし、人前で話すこともできないし、話す言葉も思い浮かばない、人前に出るときは何日も前からドキドキする。

 ある時から恐怖心がなくなった。自分を守ることをやめ、捨て身になったからだ。

 捨て身になれば恐いものなどない、カラッポでいればいいということ。ある意味危険なタイプかもしれない。

 そんな私が譲れないこと。 

 私を必要としてくれる人間を、身体を張って守るということ。治療は、常に治療家生命を掛けての取り組み。本気で向かってくる相手に対しては、本気で受け止め、失敗すれば私も終わる。

 大の男がピクリとも動かない腕を私に見せ、「もう一度この手でゴルフがしたい」と涙ながらに訴える、もう治療の手立てがなく「私生きたい」と泣きながら話す子、こんな事を言われて心が動かない人間などどこにいるんだ?

 断ることなんて出来ない。

 逃げるのか?お前逃げるのか?

 襲ってくる恐怖心、保身の心も湧く、それでも恐怖から逃げるからもっと恐くなる、だったら恐怖のなかに飛び込んでしまえと自分に言い聞かせる。

 それでいつも受け止める決断をしてきた。これが自分の生き方。

 失敗したらオレも患者さんと運命を共にすればいい。生まれつき不器用だからこういう生き方しかできない。

 本気には、本気で。捨て身には捨て身で。

 この世で生を受け、そして多くの人に傍で見守ってもらうことができた最高に幸せな男。おかげで不治の病を完治させることもでき、健康体を手に入れることができた。

 そして人から必要とされる仕事をしている。幸せじゃねぇか!自分は!!

 私は日本を健康にしたいなどたいそうな考えはない。まず目の前の一人、そしてもう一人、一人の積み重ねが10人に、100人、1000人に・・・いけるところまでいけばいい。

 1000は1の積み重ね、1をおろそかにした1000などあり得ない。だから目の前に集中する。

 これが私の情熱と志。

 ちなみに情熱は英語でパッションと呼ぶそう、最近まで会合でパッションと言われてもパッションフルーツ?って思っていた自分が恥ずかしい(爆)

 情報提供:森田敦史