心と動きと身体

 森田敦史です。

 体軸法の核心である“心ー動ー身”。

 心は動きをつくり、動きは身を形づくる。

 心とは、体軸法で言うと感情であり、感覚でもあります。

 こういった潜在的要因が、動きに反映されます。感覚とは、5感だけではありません。常在感覚・潜在意識とでもいうのでしょうか?そういったものが動きに反映され、その動きの積み重ねが、先天的・遺伝的に持っている筋・骨格的な特徴のうえに影響し、個体をつくっていきます。

 ですので、根本的に身体を変えるという行為は潜在的要因から取り組まなければならないということになってきます。

 身体を動かすというのは、単に動いて筋肉を伸ばし、深く呼吸し、リラックスしているだけではなく、身体を動かすことによって潜在的要素と身体双方に影響を及ぼすものであるべきだと強く思います。

 人が身体を動かす動かし方は多種多様です。

 しかし、無意識的に修得してきた動かし方は時として身体に不都合を生むこともあります。この動かし方ですが、これは人間という動物が持っている宿命的な課題と直結していると考えます。つまり、人間は他の動物に加え、脳や手指の巧緻性が著しく発達しているという点です。易の世界に干支という言葉がありますが、これは正に幹と枝、人で言うならば体幹と手足という関係になります。

 脳や手指の巧緻性が発達し、さらには文明が進化することによって、動きが枝動きになってしまうということです。何でも手先で、何でも頭でしか考えないという結果として、動物にとって最も大切である“体勢”という観点がすっぽりと抜けてしまうことになります。

 体勢が不十分な動きは、そのほとんどは首と腹部の緊張を伴い、首と腹部の緊張は呼吸を止めるというところに繋がってきます。当然首と腹部という大きな連結の緊張状態は全身にまで緊張を波及させることになります。その動きを無意識的に積み重ねる事によって生じる身体を緊張体質(不調体質)と呼んでいます。

 緊張体質(不調体質)は、様々な症状や病気の基礎にあるものだと認識しています。人によっては腰痛になり、膝関節痛になり、肩こりになり、時として内臓不調になり、というように様々な不都合を生み出す基礎です。

 首と腹部は、人間にとって幹であるといっても過言ではなく、同時にこの幹の在り様は枝に影響を及ぼすことにもなります。幹の状態は枝に現れ、枝の状態で幹の強さを知ることもできます。つまり、手脚の動きを観れば、おのずと幹の盛衰もわかるという考え方です。

 こういった動きが結果として、身として表現されることになります。身として表現されることになるというのは、例えば、身体の個性である歪み、筋肉・関節などようやく見える部分に現れてくるということです。

 物事にはバランスが重要であるといいますが正に人間を観るときにも、ある程度のバランスは必要です。心と動きと身体、つまり心ー動ー身として人間を観て、その人間が抱える不都合や問題・課題をその中で見出し、修正していく作業です。その作業自体も例えば一つの動きのなかに、心に作用する要素・動きに作用する要素・身に作用する要素というように3つの要素が入っていることが一つの条件であると考えます。

 このような流れで考えると、個人的には身体を変えるという作業は、人間を変えるという作業であると思っています。

 最後に個人的な話ですが、私がクローン病を自力で克服したのは、対象は病気でもなく、部分でもなく、血液でもなく、結局は人間そのものであると考え、上記の作業を繰り返し積み重ねてきた、それこそ単なる結果だと思っています。

 次回は、2つの資質(感覚・感性)について考察してみたいと思います。長々と読んでいただき、ありがとうございました。