常在感覚を考える

 森田敦史です。

◆常在感覚
 
①自転車の乗れない。
②自転車の練習をする。
③自転車に乗れるようになった、でも乗ろうと意識しないと難しい。(初心者レベル)
④自転車を乗りこなせるようになった、別に乗ろうと意識しなくても身体が勝手に動く、ほとんどの方がここ。(中級者レベル)
⑤手無し運転・ドリフト・ウィリーなど出来るようになった。(←やってはいけませんよ)

 常在感覚の中で特に健康と関係しているのは、④です。つまり、動いてはいるけれど特別に意識もしていない世界です。この世界は筋肉の強さや関節の柔軟性や身体の歪みとはあまり関係のない世界です。誰にでもやればできます。関係あるとすれば⑤から先の話になります。特筆すべきは自転車が一度乗れるようになり、④のレベルまでいった経験のある方はたとえ、乗ることを止めても身体は覚えています。つまり、5年くらい自転車に乗っていなくても、最初だけフラッとするかもしれませんが、すぐに思い出して乗れるようになります。

 健康に置き換えてみます。

①心身共に軽く楽に動けない。
②心身共に軽く楽に動けるように練習する。
③軽く楽に動けるようになった。でも少し意識しないと忘れやすい。大体不調が軽くなってきている段階(初心者レベル)
④軽く楽に動きこなせる、特に意識しなくても動ける。不調がほとんどない段階。(中級者レベル)
⑤スポーツや特殊な動きが身体に負担を少なくして出来る。

 感覚的に心身に軽楽をつくっておくと、例え何もしない期間があっても心身がひどく痛むことは無くなります。ところが筋肉や柔軟性・歪みなどにフォーカスして、それを基準に健康体を作ろうとした場合、その対象である筋肉や関節が何らかの変化を起こした場合に適応できずに不都合が生じますし、ケアをやめれば元に戻りやすいということになります。

 筋肉や関節も大切ですが、それは感覚を変えていった結果として正常に機能できる状態に持っていく事が理想だと思っています。

◆身体の動的常在感覚
 身体を動かす時に、その動かし方の事です。身体に過剰な負担を掛けない自然な動きができるかどうか?というところです。それを意識せずに当たり前のようにできるかどうか?というところです。痛めやすい人や不調体質の人は、そうなるような動きをしています。

◆身体の静的常在感覚
 例えば、椅子に座った時に無意識的な意識はどこに向いているのか?体軸法的には注意の所在がどこにあるのか?というところです。痛いところや辛いところに注意が向いているのか?手なのか?足なのか?仙骨なのか?色々ありますが、身体の中心感覚を常に無意識的に感じ取れているかどうか?というところです。ということは、当たり前のように調和された自然な姿勢がとれるかどうか?というところです。

◆身体の動的・静的双方に共通する常在感覚
 基礎となる感覚が、軽くて楽なのかどうか?という1点で尽きます。

 常在感覚が決めることは実に多くあります。

 動き方・姿勢の取り方・発する言葉の特性・嗜好・思考などなど。

 無意識的に積み重ねてきたというか、教育されてきた事が当たり前のものとして感覚的にインプットされています。しかし、本当のところはどうなのでしょうか?本当にそれは当たり前の事としてあなたにマッチングしているのでしょうか?

 こうして修得してきた常在感覚は当たり前のようにすり込まれているために、それに対しての疑問すら湧きにくいから難しいのです。よっぽどの体験や他人から言われて気付く事が多いようです。もちろん私もです。

 そして、頭で健康を創ることは出来ません。

「身体の事は身体に問え」

「身体で考え、身体で動く」

 古来から偉人達は言葉は違えども皆同じような事を言っています。

 それでも、人は頭で健康を創ろうとする生き物です。

 身体で考え、身体で動く事を頭で考えてしまうくらいに頭でっかちな生き物です。