“何となく”の危険

100人の人間がいて、95人が「●●は大変だ」を言えば、それを何となく見聞きしている人は大体「●●は大変だ」と言います。

95人が「●●は大変だ」と言うことが無意識的に潜在意識にすり込まれると、特に思考しなくても何となく「●●は大変だ」とつい口にしてしまいがちです。

この何となくというのが一番恐い。

人が口にする言葉はいっけん確かに見えても、何となくで発している事や何となくからイメージしてそれが正しいと思い込んでいるものは実に多いような気がします。

いざ、深堀りしてみるとそうでないことは本当に多いですね。

身体に関してもよくあります。

五十肩で腕が挙がらないという患者さんが、「先生、肩が挙がらないんです」

これ、肩ではなく「腕が挙がらない」の間違いです。痛いのは肩かもしれませんが挙がらないのは腕です。

細かなことで言えば、歩いて通院してきた方が「脚がつけない」

片脚がつけなければ歩けるはずがありません。正確には「脚をつくと痛くて歩くのが難しい」です。

理屈っぽいと怒られそうですが、治療の初歩はこういう事実認識力と表現力の訂正・修正が必要だと思っています。

そうでないと、

肩と腕を間違える、脚をついているのにつけない、という認識力・表現力では治療による身体の変化を認識・解釈することができない可能性があります。こういう言葉は、自分自身ではなく過去に誰かが言っているのが記憶にあり、それを何となく自分に引用しているケースが多いですね。

細かいことのようにみえますが、こういうことが積み重なると“感覚”と“実態”のかい離が大きくなって、自分では普通にしているつもりでも実はそれが身体を壊している、でもそのことに気付かない(思い当たるふしがない)、気付くときは限界に達して痛みとして発現したとき、というようになる恐れがあります。

何となく●●ではなく、事実を認識する力を育てるということは身体つくりや治療の第1歩であり、根幹であり、絶対条件です。

森田愛子