一つの形ができるまで

森田敦史です。

抽象的な内容ですので、答えが欲しい方は当てが外れるかもしれません。ご了承ください。

慢性的に様々な不調が出やすい人。

そんな方達の身体をよくよく観察すると、ある特徴的な動きが見られます。

お腹に、特徴的な筋肉の動き方(収縮パターン)がみられるということです。

そもそもは、治療の時に、無意識的に感じていたことです。どうにも治療していると、患者さんというよりも、人間という動物としてのおかしな動きを察知する嗅覚が優れているようで、どうにもそんなところが気になる性分です。

「この動きは一体何なんだ!?」というように。

無意識が有意識になるという事は、それだけ遭遇する機会が多いという事だと思われ、今度はそういう視点でみてみると実に該当する人が多いという事実にも気が付きます。

ここで初めて「問題意識」として顕在化します。表現方法を変えると「ピン」と来るということになります。

ちなみに、いつも悩むのは、不調だからそういった特徴的な動き方をするのか?それともそういった動きをするから不調になるのか?それは背景や状況によって変わると思いますが、少なくともこれを修正・改善する事は共通ですので、よしとしています。

話を戻します。

「おかしな動き」として問題意識として顕在化されます。

「おかしな動き」があれば「おかしくない動き」もなければなりません。

「おかしくない動き」があるからこそ、「おかしい動き」としてキャッチできます。

ここで明らかになった「おかしい」「おかしくない」、これで終了してしまうと単なる自己満足の世界になってしまいます。この2つの違いを運動学的に解説する必要性が出てきます。

違いを自分なりに筋道を通して解説できるようになると、今度はそれを修正する方法が必要となってきます。

時間的要素から見れば問題意識として顕在化されるまでが最も長いですが、難易度としてはこの方法論が最も難しいといつも感じています。既に「おかしくない動き」というゴールはあるのですが、そのゴールまで至る道を示さなければならないのです。

この方法には本当に気を遣う事が多く、どのような視点で、どんな基準で、何を固定として、何を動かすか、どういった動きを使うか?そしてどの肢位(仰向けなのか?立位なのか?など)でやるか、さらに言えば、それが身体全体から観た上で何を意味しているのか?

そういった諸問題をクリアしなければなりません。

そして、これをクリアした段階で、初めて人に試す事が可能となります。

試していると、実践上の修正が必要なので、必ず微修正をかけます。

これを繰り返していくと、ようやく一つの形として一応の完成をみます。

ここまでくると、後は人に伝えていくという地道な作業が始まります。

最初にもお話したように、お腹の動きの癖と不調体質との相関関係。

いつも言っているのは、慢性的な不調の多くは、もしくは不調を生み出す体質の多くは、共通した問題が背景に存在しています。

お腹の動きの癖もその一つです。

その人なりの個別の原因というのはどれだけ入り組んでいても、それはあくまで個別な原因であって、もう少し掘り下げて考えると問題点は共通していると考えています。そしてこの問題は、実は他者では解決できない事が多く、つまりは施術だけではどうにもならない問題であると言い換える事も出来ます。

イメージで言えば、治療というのが、木の育て方や水やりの仕方、または植えるものによっての手法の違いであれば、他者で解決できない問題にアプローチする事は、その木を植える土台となる「土」をどうするのか?というところです。

貧弱な土と、肥沃な土。

最近の身体を壊した方達をみていると、その「土」が弱くなっているように強く感じます。弱った「土」で出来る事と、強い「土」で出来ること、その違いは話すまでもありません。

治療師は、その弱い「土」の中でも工夫して改善方向にいくように努力していますが、そもそも「土」を強くすることも重要な事だと私は考えます。

お腹の動きの癖を改善するというのも「土」を強くするための作業の一つ。こういった想いがあるので「体操」という安直な言葉では片づけたくないというのが本音です。

そういえば以前、精魂込めて肥料開発してきた無農薬農家さんと話した時の「やっぱり土なんだよ」という言葉が忘れられません。

最後まで抽象的でしたが、お読みいただきありがとうございました。