痛みと感情

今回は難しい内容ですが、よく読むと理解できますので頑張って!!

病気を治す条件、健康的に生きる条件、その一つに感情を伴わない身体意識というものがあります

これは、代表的なものに「痛み」という感覚がありますが、その痛みに対して感情を伴わずに認識するということになります

この時点ではまだ???ですよね?もう少し具体的に言うと、

痛みという感覚は、不安や恐怖などの感情が加わると増幅します。よくあることなのですが、痛みの原因を消去した場合においても痛みという感覚だけが残る場合があります

これは部分が正常化していても、脳が痛み感覚を保存しているために起こるものと考えてます

ということは、痛みは物理的な要因からくる痛みと心因的な要因からくる痛みが存在しますね。

多くの場合、物理的な要因だけでなく、心因的な要因が関わることになります。

その解決策として、痛み・不調・違和感という感覚に、感情をセットにしない習慣を作ることが大切なんです

例えば、腰が痛い、という事実を捉えるとき、人間が作った言葉で表現すると「痛い」ということになりますね。

問題は、この「痛い」という言葉自体に感情がセットされていることです。

あなたは「痛い」と聞いて、何を連想しますか?
嬉しいですか?嬉しい人もいるかもしれませんが、ほとんどは、

悪い・異常・嫌なこと、というような連想をしやすいかなと思います

この感情が「痛い」という言葉にセットされているんです。

この感情が、不安や恐怖を呼び、それが原因で脳に強くインプットされてしまいます。

脳に強くインプットされてしまうと、痛みの原因が解決できても、「痛み」という感覚だけが残る事が多々あります。

さらには、その部分の痛みが消えても、ほどなくすると他の部分に痛みが出現します。

どうしたって無意識下で痛みを探してしまうのですね。

身体に物理的な問題が起きたとき、本当に問題なのは、その物理的な部分ではなく、脳に強くインプットされてしまうということなんです。

単純に物理的な問題だけで済めば、早期に治ります

根本的な原因が身体のどこかにあるというよりも、脳にある、というところですね

感情をできるだけセットしないことによって、痛みはかなりの部分でコントロールでき、物理的な最小限の痛みで治まり、また消失も早くなります。

最初は少々難しいかもしれませんが、痛みがあるとき、その痛みを眺めるといったところです。

代表曰く、
「腰の部分に、俗に言われている「痛い」という感覚がある」
「そういった感覚がある」

つまり代表にとっては、痛みも、かゆみも、重さも、軽さも、感覚に過ぎず、そこに良い悪いという感情はないものだそうです、良い悪いは社会を形成する上で、比較対象を必要として、人間が決めたもので本当に絶対な事なのか?という事です。

もっと言うと、朝日が来て、日が沈むという絶対的な存在と比べ、良い悪いという考えは絶対なものなのか?

朝日は誰がなんと言うと、上ります。
しかし、良い悪いという考えは、人間の感情・主観によって左右されるもので、絶対的な存在ではないということです。

このように「痛み」という言葉は、人間が進化の過程で、便宜上作ったものであるだけ、単にそれだけの意味ということ・・・

故中村天風先生の言葉にも、「隣のおじさんが痛いと言っている」というように考えなさいというように、この程度に考えると痛みは脳に認識されにくくなります。

以上が代表の言葉です←何というわかりづらさ(苦笑)!!

こと人間は自分の事になるとナーバスになりがちですが、気にしなければ痛みなどはそうそうやっかいなものではありません

これが心因的な要素を使った痛みのコントロールの一旦ですが、とても大切になりますね。

こういった事を積み重ねていくと痛み・不調などが出ても簡単にコントロールできるようになります。

感情を伴うと事は厄介になります、厄介にしているのは体ではなく自分自身という置き換えができます。

厄介に考えれば厄介になり、厄介に考えなければ厄介にならない、当たり前の事ですが、そんなところに気付きがありそうですね

これに関連して「言葉」という存在の不確かさと、その無意識の力も大切になってきますので、これは次回に・・・

情報提供:K-Raku Style Yoga 体軸法 渋谷 森田愛子