未来への一歩

新年になりました

昨年は多くの方にブログにお越しいただきました。誰かが観てくれていることは励みになり、素直にうれしくありがたい気持ちです。今年も出来るだけ何かを感じていただけるようにコツコツと更新していきますので、よろしくお願いいたします。

ところで正月は「治療院って何なんだろう?」というところを改めて考えていました。

治療院という存在は一般的には〝施術をするところ”。

それが整体なのか?鍼灸なのか?マッサージなのか?と色々ありますが、施術をするところには変わりありません。

もっと掘り下げていくと、治療院は〝ベッドに寝て施術をするところ”ということになります。

ほとんどの患者さんは、そうイメージしてます。(無理もありませんが)

治療師側から見てもそう、治療院は患者さんに横になってもらって患者さん自身はほとんど受け身で施術するところ、という疑いのないような潜在意識があります。

それが当たり前だと。

例えば、ある地域で治療院を探す場合、ほとんどの治療院はベッドに寝て施術をする治療院です。

ここが痛い⇒施術を受ける⇒楽になった。

この流れはいっけん普通のように感じますが、実は大きな落とし穴があると思います。人間は主体性のない治療で痛みが楽になっても、動きの癖などの習性に対してのアプローチがないと同じ次元のことを繰り返します。

また痛くなったら同じような流れを繰り返す。こういった関係性を作ってしまうと、人はいつしか痛みは取ってもらうものである、治療は受けるものであるというように気付かないうちに少しずつ主体性が無くなってしまいます。全部治療師がやってくれるから自分はボーッと受けていればよいということになってしまいます。

不調から健康になりたい場合には、自分の今までの行動を省みて、その問題点を自覚し、課題を見つける。課題を実行し、検証し・・・という作業がないと、まず健康にはなれません。

だから、やる⇔受ける、そんな治療院の姿勢自体が患者さんを生んでしまうという恐さがあります。

なぜ、痛めないような身体の使い方や、自分自身の身体を認識するための方法や、健康とはなんだ?という根本的なところを主体として治療しないのか?というシンプルな疑念が浮かびます。
そんな考えがベースにあって治療しています、なので最初に治療に来ると、ほとんどの患者さんは「ヘッ?」て感じになります。

いじわるでベッドに寝かせないわけではありません(笑)その前に必要な事があるんですね。

私達の仕事は、痛くなった時だけの存在ではないはずです。

既に治療に来てくれている患者さんは理解していることですが、私の情熱の注ぎどころがここです。
根性入れてまた1年やっていきます。

森田愛子