感覚と言葉

オフィス代表である森田は週1回、渋谷に来て通院患者達の治療に当たっています。

今日はその日で、夜の17時半まで治療は入り、17時半から私の治療を受ける方が一人来られました

その方と私と代表と3人で少し話したときに、感覚の話になりました

感覚というものを表現するのはとても難しいということ・・・(代表が好きそうな内容です)

感覚を言葉にする難しさ、人間は今ある言語を使って自分の感覚を表現・説明しようと試みるが、所詮言葉はツールの一つである以上、全てを伝えることには限界があります。

言葉とは、感覚一つ正確に伝える事もままならない何かが足りないコミュニケーションツールだということです。

つまり言葉とは100%なツールではないということです

例えばある人と話したとき、その話す言葉を捉えるのはもちろん、その背景にあるその人の感性や感覚も同時に捉えなければコミュニケーションは成り立ちません。

しかし、ほとんどの場合人間は言葉で理解しようとします

これには大きな落とし穴があるという側面を理解する必要があります。

代表が言うには、その道のベテランが言う

「人生は難しい」

という言葉と、若造が言う

「人生は難しい」

という言葉、全く同じ言葉でもその背景が全く異なります。

どういった背景で「難しい」という言葉を使っているのか?

やはり言葉で理解すると限界があります。

ヨガでは言葉で理解するよりは、感覚で理解するという作業が求められます。

ヨガでの体験も言葉で表現すると非常に不可解な言葉になることがあります。

例えば、私がよく言われる「レッスン中の愛子さんの言葉はスーッと体に入ってきます」

よく考えれば、言葉が体に入るなどという事はなかなか考えづらいものです。

しかし、その体験を言葉にするとそう表現するしかなくなってしまうのです。

その辺が言葉が100%でない事と、言葉の持つ無限の解釈・無限の世界があるように思えるので、それもまた面白いものです

何だかよくわからなくなりそうですので、ここらでやめにしておきます。

要するにヨガは感覚重視、人間が進化する過程で失ってきた感覚や体のセンサーを取り戻して、それを活かして元気に生きよう!ということです。←強引すぎ?

それにしても驚いたのは、今日話した方のことを代表が
「物事を鵜呑みにすることはなく、まず言われたことを素直に受け止め、自分自身でしっかりと考え、体得する作業のできる方、頭の良い人だ。彼のような人間が人の上に立ったら嬉しいな」とベタ褒めしていました

自分のヨガの生徒さんが褒められると私も非常に誇らしい気分になり、今日は家で祝杯をあげることにして、今飲んでます(笑)

情報提供:渋谷の小さなヨガ・整体サロン“Office K-Raku”