当たり前の習性

 森田敦史です。

 いつも人と接する時は敬語。

 子供でも、成人でも、同年齢でも、年下でも、高齢者でも敬語。

 染みついています。

 人を年齢で観る事はしないという自然に出来た観念。

 年齢が下でも人格者はおり、私が言うのもおこがましいですが年上でも未熟者はいます。

 年齢によって年上であることに敬意を払っても、年齢で観るということはしません。

 年齢というのは一つの思い込みに近い。

 誰でもそうだと思いますが、年齢でいっしょくたに判断されるのはどうでしょう。

 それに関連して特に言わないのは、「あなたも私と同じ年になったらわかるよ」「まだ若いからわからないんだね」

 この類の言葉は、言うのも言われるのも嫌い。

 だから、先輩は立てますが妙な先輩風を吹かすこともしない。というかそれほどむなしいことはないとも思う。

 そして敬意は、基本的には対象を限定することはしない。

 先輩であろうと、家族であろうと、コンビニの店員さんであろうと・・・

 最近はどうもそれを露骨にする人が多いと感じる。表情や言葉に出なくても仕草(動き)に出るもんです。

 何だか愚痴っぽくなってしまいました。

 敬意を限定することは人生の損だと信じて疑いません。