差し迫った環境設定

森田敦史です。

いつの世も、必要に迫られてできたものには一定の価値があります。

いかにして戦場で生き残るか?そのために生まれた武術。

いかにして小さな身体で大きな力を出すのか?いかにして重労働に耐えうる身体をつくるか?身体の合理的な動かし方。

いかにしてそうなるようにするか?という必要に迫られる状況を設定されると、もしくはすると、その対処が理論ではなく、手段として生まれます。
理論はそのあとに裏付けをとればいいだけの話です。

私も難病であった頃に、いかにして楽に生きれるか?働けるか?そんな必要性に迫られた状況の中で、“動き”というワードが生まれ、様々なものを手にしました。
頭脳的な勉強はせず、単に日々の現実の中で、そうなる工夫をしただけのことです。人間は必要に迫られれば、それをどうにかしたいから、どうにかする。

後から、勉強することで、その感覚に裏付けが出来たようなものです。

具体的には、楽でいるためには、いついかなる時も呼吸を乱さない、呼吸を乱さない為には、それなりの呼吸術と動き(体勢)が必要になる、だからそれを自分で訓練・修得した。という流れです。

ヨガや治療、塾に来ている方はお分かりになることだと思いますが、スクウェアという感覚がなぜ必要なのか?体勢をつくるため⇒呼吸を乱さないで動くため⇒楽に動くため⇒楽に生きるため。

体幹始動がなぜ大事なのか?も同じです。

セントラルウォーキングも呼吸を乱さない歩き方(=体勢をつくる)という解釈も出来ます。

顔を右向けたり、左向けたり、どこを向けても呼吸が乱れないようにするために(体勢が崩れない)、頚の解放があります。

胃の部分が力む(胃を中心とした動きの癖)と呼吸が乱れるから、腹部修正(骨盤強化)があります。

直接的には平時で恒常的に呼吸が乱れると、全身緊張体質をつくり、いわゆる不調体質になるので、平時の呼吸をいきまない・溜めない・落とさないという約束事が大事になります。

常に楽で居続けるためには、心身をコントロールするためには、こういう事が必要であるから、出来たということになります。

必要に迫られた状況をいかに設定できるか?

差し迫った状況でないと難しいかもしれませんが、平時にそういうイメージをして、何かを実践してみると無駄が省けて、本当に必要な何かを修得できるかもしれません。