効果の謎

 身体の世界は不思議なことばかり。

 数えきれないくらいある治療法や健康法の種類。

 中には全く相反する理屈を基準に治療していても、それぞれがそれなりに結果を出している。

 鍼は異物であり身体に害しかないと標榜する整体の先生がいれば、事実、鍼で元気になっている人は数えきれない。強い刺激は害であるといいつつも、実際に強い刺激で元気になっている人も数えきれない。

 治療には、治したいという治療家の意志が大切だという先生もいれば、治したいという想いは治らないという結果を生む、という先生もいる。どちらも結果を出している。骨格系しか診ない先生もいれば、筋系しか診ない先生もいる。身体の歪みを診る先生もいれば、歪みなど全く診ない先生もいる。邪気を浄化すると言う先生もいれば、邪気などないという先生もいる。

 その全ての理屈や手法に共通点を見出す事は極めて困難と考えるのが普通。

 効果があったときに、唯一共通点となるのは“効果があった”という事実。

 痛いとすれば、それが痛くなくなった・もしくは痛みが軽くなったということになる。

 つまり、効果があった患者さんに一体何が起こっているのだろうか?

 おそらく、身体に何が起こっているのであろうか?という発想よりも、人間に何が起こっているのであろうか?と考えた方がいいような気がする。

 どんな治療法であれ、健康法であれ、

 変化を感じ取る認識力と、その認識力の対象となる身体の感覚がなければ困ってしまう、これは絶対条件。

 どんな手法でやるかははっきり言えば・・・

 身体感覚の構築と認識力強化。

 感覚と感性。ということです。