誰にでも永遠にある課題と予想外を予測すること

そう言えば、最近愛子先生が更新していませんね。いけませんね~、良くいっておきます。

さぁ、誰にでも永遠にある課題。

人間は、一つの課題をクリアしていくと、今度は別の課題が浮き彫りになってくる、そんなこんなで一つひとつの課題をクリアしていくうちに一生が終わってしまう、生きる意味など知る必要もなくまぁ誰かが後で考えてくれれば良い方、生命は尊いけれどそんなに大げさなものではないというのが、私の生命観。

最近、生きる意味を考える真面目な方が増えているという印象です。立派だと思います。今の私には到底できません、できないというより10代の頃に死ぬほど考えましたので、もう止めました。その結論は、

生きる意味を知るためには、生きる意味を考えないこと終了・・・

そして話がガラッと変わりますが、予期せぬ出来事が起こってくるのも人生。たいがいの方が予期せぬ出来事が起こるとうろたえてしまうものです。

私も難病を宣告された13才、実は違う難病だったと言われて20才、あまりにも予期せぬ出来事ゆえにうろたえたもんです。

しかし、20才を最後にうろたえることは一切なくなりました。

予期せぬ出来事が起こるものだと予測するようになったからです。ようは平和ボケすることを止めたということですね。

何が起きるかなどわかるはずもないので、そんな事は考えず、しかし何か予期せぬ出来事はいつか起こるだろうと常に心しています。

気を抜きませんし、隙も作りません。でもピリピリしているわけでもありません。むしろリラックスしています。そういう心身を体得したというところです。

そうすると実際に予期せぬ出来事が起こった時は、うろたえることはありません。むしろ「こういう形できたか」と感心するくらいです。

簡単にさっくり言ってしまいましたが、結構難しいですね。これを実践するには感覚と感性の生長が必要ですね。

そう言えば・・・・20才以降でうろたえたことが一つだけありました。

12才の子から初めて「おじさん」呼ばわりされたとき(爆)

「うぅ、遂にそんな風に見える年になったか・・・」

情報提供:体軸法 渋谷鍼灸理学治療室 心はいつでも17才・森田敦史