認識のステージ~比較対称の世界から事実認識の世界へ~

 認識のステージとは?

 不調体質から健康体質に変わっていくには、いくつかの認識のステージ・ステップがあります。昨日、たまたま同級生の治療師のブログを読んだのですが、とても大切な事ですので書いておきます。

 例えば、治療をするときによくある質問として、

「その効果、いつまで持ちますか?」

 いっけんすると何てことない質問ですが、実はこの質問の裏側にはあなたが不調体質なのかどうかという事を判別することが可能です。

 その質問自体の前提・基準となっているものが“不調なのが常”“不調が当たり前”ということです。不調を基準に考えると、効果が持つ・持たないという発想になります。

 要は不調の世界の言葉と言い換えることも可能です。

 無意識に不調なのが当たり前の世界に入ってしまう場合、不調じゃないのが異常になってしまうということです。それでは健康なはずがありません。

 私にいつまで効くのか?という質問をされる患者さんは今はほとんどいませんが、そのように質問された場合の私の答えは・・・

「あなた次第です」

 と言います。

 つまり、効果を感じる力(感性)、感じた効果を持続させる力(感覚)は、いつも言っているように、あなたにしかないからです。

 そもそも持たせてほしい、ということは治してほしいと同質ですので、その時点で主体性のかけらもなく、それに応じるように何の説明もなく治療する治療師は患者さんの主体性を奪っているという事をしていると考えます。

 痛みで困っている患者さんがいるのであれば、能書きの前にまず痛みを楽にすることは治療師として大切ですが、同時にあなた次第ですということは言わなければなりません。

 ところで不調体質から健康体質へと移行していくプロセスで必ず起こるのは、この認識・判断基準の変化です。

 つまり、効果が持つ・持たない、という認識・判断基準は典型的な不調体質的な基準ということになります。

 例えば、痛い・痛くない、という世界。これは痛いか痛くないかで身体を判断・認識する基準です。これもまた、不調体質から抜け出せないところです。判断・認識する基準が痛いか痛くないか、ですので、少しでも痛いような気がする日でも痛い日になってしまいます。

 さらに言えば、痛くなくない日は全て痛い日ということになってしまいます。この“痛”という基準で考えてしまう限り、“痛”の世界ですから“痛”から解放されることは困難です。

 もう少しライトなステージになると、重いか軽いか?という基準。これは“痛”という部分限定的な焦点から漠然とした対象に変わります。この時点で部分執着が薄まる点で痛い・痛くないよりはましですが・・・

 ここまでの基準は、全て良い・悪いという基準であることを認識することが重要です。

 陰陽の関係で言うと、良い・悪いは常に同質であり対照である存在ですので、この世界にいる限り比較対象の世界に縛られることになります。

 良い・悪いの判断・認識基準から離れることは難しいですが大切なことです。

 例えば、今日は活動できる日か、制御すべき日か、という“パフォーマンス”的な基準。直接的な良い・悪いの基準ではない意味ではまぁ良いか、という世界です。

 修練を積み重ねていくと、そもそもそういった判断・認識基準自体を持たなくなります。いわゆる“あるがまま”の状態になります。

 私は以前は、「どうして難病を治せたのですか?最大の秘訣は?」と聞かれると「あるがままに委ねた」という一言しか言いませんでした。

 実は、この“あるがまま”という世界に至るまでは、少なくともこういった判断・認識基準のプロセスがあったわけです。

 そこにあるから、そこにある。
 そこにないから、そこにない。
 私が居るから、私が居る。
 あなたが居るから、あなたが居る。

 今日は、朝から電車に乗り遅れてあせったし、会社に遅刻して上司に怒られてへこんで、お昼ご飯も食べる時間がなくてイライラしたし、夜は疲れているのに残業して大変だった・・・

 これを事実羅列にすると・・・

 今日は、朝はいつもより遅い電車に乗った。
 会社に遅刻して上司に怒られた。
 お昼ご飯を食べなかった。
 夜、残業した。

 感情羅列にすると・・・

 あせったし、へこんで、イライラしたし、疲れている(疲れているというのも感情です)。

 ここに良い・悪いという基準で感情をつけると後の感情羅列のような文になります。良い・悪い基準で考える人ほど感情挿入度は高くなり、不調も多く・大きいという印象があります。

 前文は事実羅列。つまり、事実としては単にその事実があるだけで、それ以上でもそれ以下でもないということです。

 こんな事実認識だけの世界。こういった認識をベースに感情を使うようになると自分の感情に踊らされることが格段に少なくなります。

 特に人の上に立つ人間や指導・教育する人間には必要な力です。

 話が相当に横道にズレてしまいましたが、ご勘弁ください。ただ、身体を考えるときもこの事実認識は生命線です。体軸法で言う“感性”の世界です。

 ず~っとこの感性で生きろと言っているわけではありません。人間は感情が動いて当たり前ですから。でも自分の感情に踊らされない為に、この感性を身につけておくことは自分をコントロールできる意味でも非常に重要な要素となります。

 情報提供:体軸法 渋谷鍼灸理学治療室 森田敦史