苦い過去こそ自分を作る

 もう年数が経っていますので・・・重い話かもしれませんので・・・

 治療家には、そのキャリアの中で、必ず治療家人生に大きな影響を与える患者さんが存在します。一生強烈な記憶として残ってしまう、その多くは嬉しい出来事というよりも、苦い経験であることが多いような気がします。

 当然、私にも数人います。その全ての方がもうこの世にはおられません。

 一人目は、以前話したかもしれませんが、見知らぬ土地で出会った小・中学校の大先輩。つまり同郷の患者さん。慢性腎不全・悪性リンパ腫・肺気腫という末期の患者さん。私はただ、話し相手になることしかできなかった。お互いに感情移入してしまっていた。勤務先の事情で最期まで担当してあげられなかった事が今でも後悔の念として残っている。そして最期まで「森田くん」、つまり「先生」と呼んでもらえなかった人でもある。

 二人目は、次元を超えた難病の患者さん。進行性核上性麻痺という、治療家でもあまりお目にかかれない進行の速い病気。1日1日進行していく様が今でも鮮明に残っている。本当に何もできなかった。という想いしか残らなかった。無理なものは無理だとわかっていても、目の前で見せつけられてしまうと、治療という行為の限界を骨身にしみた。

 三人目は、老衰の患者さん。亡くなる数カ月前から、明らかに色々な意味で準備をしていた。神聖な感じがして、邪魔できなかった。最期に治療した時は、身体に触れることさえできなかった。もうそこにはいないという感じ。その数日後、「おいしい」と笑顔で朝食を摂って、横になる前に、一口水を含んで、その数分後、正に息を引き取った。生命の尊さとその終焉は誰にも邪魔できるものではないと身に染みて勉強させていただいた。

 治療家は、誰しもがこのような経験をしながら、自分なりの治療家スタイルを作っていくのだと思います。一人ひとりの患者さんの魂は、確実に治療家のなかで生きているということです。

 患者さん達の生命をもって教えてくれた事、無駄にできるはずもありません。

 そして、一人の人間として、自分の足で歩いて生きていく。不器用な自分にはその姿を患者さんに見せていくことしかできないのかもしれません。

 情報提供:体軸法 渋谷鍼灸理学治療室 森田敦史