私が常々感じていることでしたので、今日はそれについてお話させていただきます。
私が治療を通して人間と接しているとき、ほんのたまに思考を超越した何かの力を感じることがあります。これに関しては適切な言葉が全くありません。
この時に言葉という表現方法の未熟さを感じるときでもあります。
人間の思考を超えた何か・・・
人間は誰しも、自分の思考を超えた存在や考えを否定しやすい傾向にあると感じております。人間が過去の体験に基いて思考していると考えると無理のないことかもしれません。
私達がどんなに叫ぼうが、わめこうが、毅然として変わらずにある存在。
私自身はその存在があることを認め、その力を拒絶することも致しません。つまり頭では考えないようにしております。
あるとか、ないとか、するとか、しないとか、そういった人間が作った基準すら何の意味も持たない存在。0というか、フラットというか・・・
私ごとき非才の人間が、つべこべ言うつもりがございませんが、その存在に身を委ねたとき、奇跡にようなことも起こる事実があります。
これは、私の中では一種当たり前の世界で、それだけ信頼を寄せているということになります。一種の信仰かもしれません(苦笑)。
こういった話は、頭で考えると大変です。
私は単純な人間で、真理を追究するタイプではないので、素直に感覚的に認めているだけです。
自分の感覚には素直でいたいので、誰がなんと言おうとも、その存在は私の中では絶対の存在となっております。
患者さんにはこういった話はほとんどしませんし、治療自体は非常にロジカルに行います。それは別に言う必要はなく、私がその存在を認めているだけで患者さんにも、よい影響を及ぼすと都合よく考えている次第です。
こういったお話は言葉という表現方法ではかなり不十分なのですが、本当に大切な事ですので、あえて書いてみました・・・
つたない文章能力ですが、またお付き合いいただければと思います。
情報提供:渋谷鍼灸理学治療室 体軸法 渋谷