人としての器
仕事人としての器
お金を扱う器
これらを総称して私は「器」と解釈しています。
これらの、自分の器を知る為に最も早い方法は・・・「器」のでかい人間に触れること。
私は1月、「器」のでかい人だけが集まる、プライベートの会に参加しています。また毎年のように「器」のでかい人と出会いを求め、出会いがあります。
振りかえるとそれまでは、なんとなく自分が一番、自分は「器」がでかい、と無意識的に、そして傲慢に思っていたこともあります。
しかし、「器」のでかい人間に会うと、なさけない事に自分の「器」の小ささばかりが目立ってしまいます(泣)
同時に強い憧れの気持ちも強くなってきます。この人に早く追いつきたい、追い越したい・・・
そう思うから頑張れる。
しかしそうするといつしか、その人と同じ人生を歩もうとしてしまう・・・
これには苦労しました。
他人と同じ人生などあり得ないと誰もが知っているのに強い憧れのあまり、その人と同じ人生を歩もうとしてしまっている・・・結果的に自分が誰だかわからなくなる・・・
そんなところを数年かけて悩み、悩んだ末にその人の人生を歩むことを止めたとき、自分の道が自然と見えてきたように思います。それ以降は「器」のでかい人と会ってもその人の人生を歩もうすることはなくなりました。
私自身「器」が一皮むけたと思ったときです。
そんな事が腹の底からわかった頃です、その憧れの人から「今度プライベートで会をするから来てみる?」
透視か!?
どこかでみていたのでしょうか?私が自分の道を歩き始めた事を・・・
めでたい人間の私は、おそらく付き合うに値する人間だと認められた瞬間なのだと勝手に解釈しました。
ありがたいものです。人は人を見ると自分がわかる、自分を知りたければ自分の周りの人を見る、器のでかい人に会うと自分の器を知る。
自分に関わる情報って、自分以外の周囲の人によってわからせてもらえるのでしょうか?
そう考えると「自他一体」「相手は自分の鏡」「相手が自分にとっている態度は自分が相手にとっている態度」「周りに変わって欲しいと思うなら、まず自分が変われ」という言葉の意味がわかってきます。
毎年、進化したという自信と、器が小さいなぁ~というショックを繰り返していくのでしょうね。
情報提供:渋谷鍼灸理学治療室 体軸法 渋谷 森田敦史