森田敦史です。
今年も今日で仕事納めです、私は夕方で、愛子先生もさきほど終わりました。
今年は様々な人に助けられたというのが本音です。子供を授かってからは特に家族のサポート、愛子先生休診時には患者さん達の理解、助けられました。
私達には一つの思想があり「それは助けられた分だけ助ける」。
助けられたという事はその分助けなければならぬという思想、これは主として助けられる事を当たり前としない為の自戒であります。
さて、最後に今年目についた言葉の一つ。
「専門家の先生に・・・」
色々な分野で専門家の先生がいるのは当たり前のことです。
専門家という言葉自体は何だか頼りのあるようなイメージがありますが、専門家という言葉にはトリックが存在します。
人間は権威には弱いもので、一つの事に精通しているとイメージされる専門家の情報は、何となくそれを観ていると脳のフィルターが弱くなり、ちょっと乱暴な事を言っても「なるほど」と信じやすくなってしまいます。
- お医者さんがそう言っているから。
- 専門家がそう言ってた。
こういうのは理由にはなっていません。
何も専門的な事を知っていなくても、話の筋道が通っているかどうかはよく聴けばわかります。
例えば、以前にも愛子先生がブログで書いていたように医療機関での受診で、マッサージは効かないからダメ、でも指示されたのは自分で出来るマッサージ。少し極端な実例ですが既に話の筋道としては破綻しているにも関わらず、こんな事でも「お医者様」が言うことによって、事実認識というフィルターが外れて納得してしまう・・・極めて危険なことです。
専門家が言っているから信じるのではなく、話の筋道や、事実、その背景などを自身で洞察する眼がおそらく厳しく求められる事になると確信しています。そういう中でどうしても自分のフィールド以外の分野の事がわからない人の為に、そられの情報を分析してお伝えする人間の存在も必要と思います。健康の分野においては、そういうところも私達の仕事の一つかなとも思っています。
また、専門性の基礎には全体観が必要です。
専門性は魅力的な世界ですが、ミクロに入れば入るほどに全体観を見失いがちになります。いまだに言われていますが骨盤を整えれば健康になる!的なもの。当たり前ですが骨盤だけを整えても健康になどなれるはずがありません。必須な条件であっても、十全ではありません。人間には骨盤だけではなく、脚もあり、手もあり、頭もあります。そういった全体観からみて骨盤を考えないと深みにはまることになってしまいます。
健康情報はえてしてミクロ的です。その方が食いつきがいいですから。いくらミクロミクロしても全体観がなければいつまでも手段や情報が点在するだけ、点を線に、線を面に、面から立体にしていくには全体観が大事です。
そんなところをお伝えするのも仕事です。
これまでも来年も、当たり前の事をもう一度見直して、そこから作り直していく、育てなおしていく、結局は変わらない信念で進んでいくのみです。
長々になりましたが、今年も本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
それでは良いお年をお迎えください。
渋谷鍼灸理学治療室 代表・森田敦史