今日は午前中は、どうしても家に居ないといけないので仕事は半休です。
じっと家に居るのは好きだけど、いなければならないという感覚はどうも・・・ムズムズしてくる。
先日、ベテラン治療家から「森田さんが言ってることは、治療家の場合、少なくともある程度、実践経験を積んだ治療家じゃないとはわからないと思うよ」
むむっ。
そんなことはないと思いながらも、いつまでも新人のつもりでいた自分を気づいてしまいました。常に進化を成長しか考えていないので
自分が何年この仕事やっているかなど意識したことがなく、1年前というはるか昔の感覚すらします。
治療家は、この仕事を始めると、まずは解剖学や生理学・運動学、つまり筋肉や骨格・関節や神経などを徹底的に学ぶのが通常、これは必要なこと。しかし、これを
ベースに治療していくと、絶対に行き詰るところがある。
それはやはり、人間はモノではなく、人間ということに気づくはずです。人間には、身体もあるが心もある。
基礎的な勉強をした後に、●●療法というような治療法を学びます。
それで行き詰ったときに、また違う●●療法を学びます。
それでも行き詰ったときに、さらに違う●●療法を学びます。
具体的に言えば、以下はよくあるパターン。
マッサージなどのほぐし行為をしても痛みが取れない。
そうすると今度は骨格アプローチだ!とカイロプラクティックのお勉強を。
それでも痛みが取れないから、今度はエネルギー療法だ!
それでもダメだと・・・宇宙なんちゃら・・・
勉強することはとても大切で新たな手法を学ぶことも必要、それは治療家としては当たり前の責務。
そのうえであえて言うと、大体このくらい繰り返していると気づくはず。
何か観ている視点が決定的に間違っている・・・と。
問題は手法だけではない。私自身、マッサージ・鍼灸・整体・気功・エネルギー療法など相当にセミナー通いした結果、
あるとき「あっ」と気づきました。
答えは、それ自体にはなかったという単純な事実・・・
今年に入って立て続けにその想いを共有できる治療家と会うとさらなる確信になります。
根本的な解決って?
健康って?
治るって?
そもそも治療って?
そこに肉とか骨とかだけに結論を見出している限りは、人間を人間として観ることはできないと感じます。
人間を観る仕事です。
情報提供:体軸法 渋谷鍼灸理学治療室 森田敦史