森田敦史です。愛子先生からブログ記事をアップしておいてくれと頼まれましたので、公開します。考えさせられる記事です。それでは・・・
何を学ぶにも、修得するにも、ついて回るのがセンス
一つの事を学ぶにも、どこまで深く真髄を感じ取れるか?
言葉にならないから難しい世界です
センスにも色々とあります。ここでは大きく3つに分けたいと思います
一つは、一つの事柄を深く読み込める、いわゆるセンスが突出して良い天才的な人間。もう一つは、言われたことや応用はできるが突出したセンスではない人間。もう一つは言われたことすら満足にできない・理解できない人間
はっきり言って、最後のケースは、例えば私達の仕事においては致命的に向いていませんので、あえて何も申しません。
今回は、前述の2つについてです。
この2つ、単純にセンスといってしまうと、どうしても優劣がついてしまいます。センスが良い・悪い・・・
しかし、私の経験上、センスの突出して優れた天才的な人間の多くは、決定的に足りないものがあります
例えば、治療の天才と呼ばれる人間、往々にして、人を教える事が苦手(自分ではそう思っていないが)、難しい表現しかできない、超マニアック、一般化できない、などなど。
天才と学ぶ人間の間には、よき理解者・協力者が必須となります。
逆にセンスが突出していなくても、天才にはないものを持っていると思います。
わからない人間の気持ちや立場が理解できる、だから教えるのも上手、みんながわかるように一般化できる、などなど
この2つに関して言えば、単にセンスが良い・悪い、という優劣では判断できないのです。
役割が違う、ということです
天才は、その考えや技を後世に伝承していく役割を、天才ではない人間は天才の言っていることを一般化し、広めていくという役割を持っているような気がします。
ですので、凡人は天才と同じ方法や同じところを目指しても、なかなか難しいところがあります。
天才とは全体の1%以下しかいないと思います。秀才は2割、6割は凡人、2割はセンス以前の段階、そんなイメージですかね。
私の考えでは、努力していけるのは秀才まで。秀才レベルまではセンスは磨けると思っています。
今の時点では、そんな感じですね。また機会があれば“センス”に関して書きたいと思っています。言葉にするのは難しい・・・
情報提供:体軸法 渋谷鍼灸理学治療室 森田愛子